【日本の風習】12月12日:逆さ札のおまじない
「逆さ札のおまじない」をご存知でしょうか。実は私たちの会社には、この「逆さ札」が貼ってあります。半紙を縦:約12cm、横:約4cmに切った紙に「十二月十二日」と書かれています。写真が逆さまになっているのではなく、紙を逆さまにして貼ってあるんです。場所は会社の庭への出入り口の上部の柱です。私たちの会社は、1832年(天保3年)創業で大阪府富田林市の寺内町と呼ばれるところにあります。寺内町には古い町並みが残されていて、街歩きの番組や歴史探求の番組などテレビの撮影が時々行われています。私たちの会社では「逆さ札のおまじない」の風習は継承されてはいませんが、どのようなおまじないなのか調べてみました。

会社の逆さ札

出入り口の上に貼ってある
*逆さ札のおまじないの意味
「逆さ札」については、数年前にテレビでも取り上げられたそうですが「京都の風習」として紹介されたそうです。すでに京都でもごくまれにしか見られないものだそうですが、元々は京都だけでなく、大阪や奈良など、豊臣秀吉の影響を受けた関西地域に多かったようです。
この「逆さ札」、玄関や軒下などの出入り口に貼っておくと泥棒が入ってこないといわれています。それは「十二月十二日」が石川五右衛門が処刑された命日だから。泥棒が天井裏から逆さまに忍び入った際、泥棒からその日付が読めるようにした、とのこと。天下の大泥棒である石川五右衛門が釜茹でにされたように「同じ目に遭いたいのか」と泥棒を戒めるために「逆さ札」を貼っているのだそうです。
*石川五右衛門とは
石川五右衛門は、安土桃山時代に出没した盗賊の首長。五右衛門率いる盗賊団は、権力者のみを相手にして悪事を繰り返していたため、庶民の間では英雄扱いされていたそうです。五右衛門の父親は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の策略によって殺され、そのため五右衛門は秀吉を敵視していたと伝えられています。文禄3年(1594年)8月、天下一の香炉「千鳥」を盗み出そうと、伏見城の秀吉の寝室に忍び込んだ五右衛門だったが、香炉に手をかけた途端、警護に見つかり、あっさり逮捕されました。この時、秀吉の暗殺を考えいたという説があります。石川五右衛門は京都三条河原で釜茹で(かまゆで)にて処刑されました。見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が処刑されましたが、こどもと一緒に処刑された五右衛門は、高温の釜の中で自分が息絶えるまでこどもを持ち上げていた、といわれています。
釜茹で:大きな釜で熱せられた湯や油を用い、罪人を茹でることで死に至らしめる死刑の方法

関西地方の風習である「逆さ札」ですが、福島県の一部では十二月十二日のお札を「防火対策のおまじない」として貼っているそうです。12月12日に数え年で7歳になるこどもに書かせて、神棚や台所、風呂場など火気の多い場所の柱に貼っておく風習で「火伏せ札」と呼ばれています。由来ははっきりしないそうですが、お札を少し斜めに貼っておくと火事にならないという言い伝えがあり、数百年と続いている習わしなのだそう。
「逆さ札」の風習は、江戸時代に庶民の間に広まったそうです。このお札、「12月12日の12時に数え年で12歳になる女の子に書かせる」や「財布に入れておくと財布をすられない」ともいわれているそうです。ちなみに会社の「逆さ札」は剥がさずに翌年には上に重ねて貼ってあります。確かに剥がすのもちょっと怖い気がします。書いてもらう12歳の女の子が身近にいないと難しいかもしれませんが、泥棒除けになるのなら試してみるのもいいのではないでしょうか。ただ、現代の泥棒には「逆さ札」の意味を説明する必要があるかも知れませんね。
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